雪の降る前

そしてまたいつのまにか —

THREE in Sapporo 感想

THREE in Sapporo コンサートは、日本・シンガポール・フィリピンの3人の指揮者による開会宣言=

“平和宣言”で幕を開けた。

《 Sing, Choirs of the World (歌え、世界の合唱団よ)》で始まるこのメッセージには、

《火の燃えさかるところに歌声の雨を降らせよ、戦場に歌の花を置け》というように、

地球上の争い、貧困、不平等などに対してコーラスという「希望」で対抗すること、

歌声によって世界を導き、私たちすべてがひとつの共同体たれと、これらが端的に述べられていた。そしてこのメッセージは、この演奏会を通したテーマとして最後のプログラムまで貫かれており、国際色豊かであると同時に、

「違い(different)は乗り越えられる。むしろ違いがあるからこそ、認め合った時の素晴らしい瞬間が待っている」。

・・という、紙の上で文字にするのこそ簡単なことだが、世界でまったく逆の動きも起きている難しさの中、この夜の出演者たちは、(あえてこの言葉を使うが)‘奇跡’をなしとげてみせた。

このコンサートを、日本と海外の団体による単なるジョイントコンサートとは異なるものにしているのは、

演奏される新しい作品、特にこの「THREE」のために書かれた作品たちが、大きな役割を果たしていた。

もうひとつ当夜の特筆すべき点は、第1ステージの地元札幌の出演団体の果たした働き。

道外からの団体の演奏会に‘賛助’出演します、とは実際よくある形だが、この日の彼らは立派に主役の一角。

技術的には海外2指揮者のお墨付きももらい、また内容的にもこのコンサートの趣旨を十分理解したものであることに驚いた。準備に時間がなかっただろうことは容易に予測できる中で、この高いレベルの演奏が出来るということに。

このコンサートは、始めから終わりまで「驚きと感動」に満ちていたがその中には、ホームである地元団体を“再発見”したことも含まれていて、嬉しかった。

以下、各ステージごとに述べる。

1st. Songs from the North

札幌山の手高校合唱部>

松下耕氏も北海道コンクールで述べた「日本一のレベル」を誇る中学高校部門。その中で、今最も驚きをもって迎えられている団体。今夜のトップバッターとなったMissa Tertia(松下耕)よりAgnus Deiは、演奏会全体の成功をも約束するかのようだった。男声の、倍音を豊かに含むやわらかな響き。女声ともども素直で深みのある声で奏でられる、祈りの世界。全日本、というより海外団体と比較すべきかも。札幌の「高校2強」もうかうかしていられない。

<弥生奏幻舎“R”>

北海道の誇るR、彼らの魅力を前面に出すステージング。バスク地方を描いたSegalariak は、ノリノリの振り付きで楽しませたけど、前の団体が超正攻法で来ていた分、客席は馴染むのに少し時間が必要だった。十八番のひとつ、マリーシェーファーのMagicSongsから、Chant for the Spirit of Hunted Animals。組曲から動きの伴う他曲でなく呪術的なこの曲を持ってきたのは、とても良かったと思う。地元らしさもありつつ、海外の合唱団にもひけをとっていなかった。CarrilloのSalve Regina は昨年何度か演奏した曲だが、聞くたびにこなれて良くなっている。曲の魅力もよくわかり思わず自分でもやってみたくなる。

<ローズクオーツ アンサンブル>

指揮者の熱が歌い手に伝わる、当夜の衣装のイメージ通りの合唱団。一聴して、今日はインターナショナルモード!。アカペラの佳曲(女声・混声とも)である『白鳥』の「贈物」は、朝の輝き・喜びがこれまで聞いたこの曲のどの演奏よりも、輝かしい表現でなされていた。指揮者の指示、歌い手の力、そして内面(「恋の告白である」by作曲者) 、すべてが揃っていたのだろう。鳥のために、と同じ作詩・作曲者による女声合唱曲「薔薇、見知らぬ国」より「出発」は、冷静かつ情熱的。今夜のテーマにもぴったり。名実ともに、札幌の誇る世界レベルの合唱団。

<札幌北高校合唱部&THE GOUGE>

Dona nobis pacem: 3群合唱でも破綻なし。高校生はもちろん、歌い手ひとりひとりのレベルの高さ、指揮者の求心力を示す。

「鳥のために」より 街の歌: かつてGOUGEが、そして今年度の北高が自由曲としたそれぞれの好演を経て、今夜がその決定版というべき優れた演奏。惜しむらくは、この曲は“静寂”じたいが重要な役割を果たすので、それを客席が理解して聴いてほしかったことだけが残念。

筆者は14年前の大阪フェスティバルホールで、この曲の初演を聴いた。関混連の学生達300名による、あの夜の熱気も忘れ難いが、北高とGOUGEの両団は内容、質ともその初演を超え得るクオリティに達している。どうかこの曲をコンクール曲としてだけでなく、長く歌い継いで頂けることを願う。

2st. Songs from the South

<ガイア・フィルハーモニック・クワイア>

Jubilate Deo: 「Sun(太陽)」をコンセプトに委嘱され作曲。F-durの響きが、生き生きと、暖かく喜びにあふれていた。

Tenebrae factae sunt: 一転して「暗闇となりぬ」、イエスが十字架上で息絶える場面を描いた曲。ヘテロの進行や厳しい和声が続くが、音の響きはあくまでやわらかく。指揮者と歌い手の思いが詰まったようにも。中国の若者による初演(北京大学合唱団)ではどうだったのだろう・・。

はじめに・・・: こんなに良い曲がNコン課題曲だったとは(不覚)。今宵の、作曲者の指揮ならでは、の演奏だったかもしれない。

コンポジション日本の民謡第7集より「湯かむり唄」: 以前に別な団体で聴いたことがあったが、今日のは特別!ドライブ感全開、大熱演!ガイアと指揮者の、札幌に対する想いを届けてもらったようで、胸が熱く。総じてこのステージ、どの曲も大満足だった。

*すべて松下耕作曲

<SYCアンサンブル・シンガーズ>

函館生まれの日系カナダ人リタ・ウエダ氏の「in the sound of a clock」は、冒頭の時計が会場を動き回るのが印象的な曲。幼時を道内で過ごしたという作曲者の、透明感のあるサウンドを十分に表現。合唱団はアマチュアとはとても思えないハイレベルの実力。

Zechariar Goh(シンガポール)の荘子の言葉による曲も、和声ひとつとっても簡単ではない曲をひたすら美しく響かせる。終盤、水の波紋のように広がるサウンドは、目の前で水墨画が描かれるかのごとく・・水琴窟の音色にも似て。ああいう音色が、ライブで、合唱団が表現できるとは。目の前の光景がちょっと信じられない気がしていた。

アテネオ・チェンバー・シンガーズ>

すべての楽曲を完ぺきに掌握、昇華されたものを客席に届けるプロの集団。冷静に聴くととてつもない超絶技巧や音域であるのに、難解さを全く感じさせない。むしろ、例えば一瞬のハミングの充実した響き、男声の豊かな深い響き、ソリストの美声など、発見と瞠目の連続。この日のプログラムは民謡をアレンジしたもので、北国のホールが一気に南国の空気に包まれた。2曲目・Glong-Ko 、終止へむかう合唱のディミニュエンドの中から浮かび上がるKubing(竹の口琴)の音色は、北海道で聴くアイヌムックリとほとんど同じでまた驚き。

3rd.

<THREE>

「Different Parts」作曲・Paulo Tirol(フィリピン): 作品にこめられた調和と統一のメッセージ。このコンサートにふさわしい佳曲のひとつ。(歌詞が知りたい!)

「Qui finis et exordium/ Qui cuncta solus efficis」作曲・Americ Goh(シンガポール): アテネオの指揮者、Jonathan Valesco氏のBassソロで始まる。ソリストでもめったに聴けないすばらしいBass。またも驚くとともに合唱団のレベルの高さが、優れた指導者によるものであることを再認識。

「Hoc est praeceptum meum」作曲・松下耕: 松下作品らしい熱い感動を呼ぶ曲。異なる3つの合唱団による3群が、同じ内容の歌詞をラテン語・英語・日本語でそれぞれ歌う。ラストへ向けて、同じフレーズを3つの言葉で3群が重ねていくさまは圧巻。

<the North and the South>

「Hymn to Freedom」: ジャズの巨匠オスカー・ピーターソンの名曲。タイトルが曲の内容を表している、“Free”の連祷が胸を打つ。

「信じる」: 合唱団300名による祈り、曲の始まりのブレスでキタラ大ホールの「空気が動いた」。「the North」勢の健闘が客席からも確認できた。

「Better World」作曲・Ryan Cayabyab(フィリピン): 圧巻のトリプルコーラス。希望と、希望に満ちた世界の姿を、垣間見た。信じる気持ちを持たせてくれた。客席は総じて、忘れられない一夜となったことだろう。

コンサートに難がまったく無かった訳ではない。Kitara大ホールのキャパシティを考えて3階席を使わなかった

のは当然の措置だが、そのせいではないが周囲にマナーの悪い観客が目に付いた。着席するタイミング、演奏中のおしゃべり・・・。

だがそれも裏を返せば、普段「合唱」というものに縁遠い観客が、興味を持って来場していた、ということだろう。

事実、子ども連れの母親を何組も見かけた。あの子どもたちは、学校の授業やテレビの画面からしか聴くことの無かったいわゆる「民族音楽」というものを、アテネオのライブの歌声で聴いてどう感じたことだろう。

その迫力と、美しさに目を見張ったのではないか。そして今日聴いた音の方を、一生忘れない記憶として持ち続けるだろう。何と言う宝物!

ガイアの演奏前に図らずも指揮の松下氏がふれたように、暗い気持ちの12月が終わり何とも先の見えない1年

が、幕を開けた。

客席の自分も思っていた、氏の書かれた曲「今年(詩:谷川俊太郎)」にあるとおり

“ささやかな幸せはあるだろうが大きな不幸を忘れさせることはできぬだろう”という気持ちで・・・。

しかし、希望は目の前に現れた。新春の中島公園Kitaraに、300人の「人の壁」という姿で。

希望は、失われたのではなく、見失われているだけなのだ。

札幌の地元民及び各地から足を運んだ者にとって、これはお年玉であり、初夢だ。

しかし、夢を夢で終わらせるか否かは、あの会場に(舞台と客席とに)居合わせたすべての合唱人、

その肩にかかっている。

“生きてゆくかぎり いなむことのできぬ希望が”

平成24年 北海道合唱コンクール(下)

【職場】

札幌市役所声友会(混声34名)

課題曲G2のハウエルズ、自由曲LAUDATE(K.Nystedt)とも、まだ消化不良か。Bustoに入ってようやくこなれた感じ。確かに金賞、だがこのままでは全国では厳しい。昨年は全国大会金賞の団体だけれども。当然ご本人たちも分かってらっしゃるはず。

【大学】

札幌大谷大学輪声会(女声21名)

プログラムの妙。課題曲の“あんたがたどこさ(肥後)”、日向木挽歌、そして沖縄民謡による「道之島唄」と南国九州を巡る旅のように。全国を逃したので後付けで言う訳ではないが、もう少しソプラノの音色の統一がほしい。個性は、同じ目的意識:表現を目指せばまとめることは可能な筈。せめて響きの方向性、がまとまれば、ALTOがとても良い音を出していたので、センターラインともいうべき響きの骨格がしっかりするのだが。

北海道大学合唱団(男声27名)

M4の八木重吉の詩による課題曲、情感あふれる素晴らしい曲。哀感こもる詩に音楽が寄り添い、ホロリと来る。さらに自由曲も、大岡信寺山修司というとても魅力的なテキストの世界を、客席に届けることに成功。輪声会より北大が成功し得た要因>北大グリーは各パートとも「声の大きいスーパー団員」がいる訳ではないが、それはパートのまとまり、全体のまとまりで補われて余りあった。速いパッセージと精緻な音階を表現しようとするあまり、全部のテキストが届いた訳では正直ないが、それでもパートごとにバラつきがないので聴き手からすれば、各パートごとに異なるフレーズの中の1つを捕まえさえすれば、曲のストーリーを理解することはできた。鈴木輝昭の魅力的な佳曲を教えてもらったと思った。全道で「銀」の悔しさは全国で晴らされんことを。

【一般B】

HBC少年少女(女声50名)

Stroopeに、こういう美しい曲があるとは知らなかった。オーボエと合唱、というとJ.RutterのGaelic Bress などが思い浮かぶ。いずれにしろこの楽器は人間の声によくなじみ、彼女ら彼らのよく訓練された素直な声とともに、癒される。たしかに美しい演奏だったが。3人が2位、2人が最下位と、評価は割れた。

リトルスピリッツ(混声42名)

自由曲「クレーの絵本」は演奏経験があり厳しめに聞いてしまう。が、演奏そのものとは別なところが気になる。1曲目は順調だったが、あとでギター伴奏が入るというのにピアノでの音出しを目撃し、不安がよぎる。2曲目、ブルージーなノリは上手くいっているが、楽譜の読み込みにはやや疑問。そして3曲目で不安的中、無伴奏で前半進み途中からギター伴奏がインという、ピッチの維持に最も神経を使うはずの展開だが、なにげにピアノで音出しを行う指揮者・・リハーサルでギターとチューニングを済ませた、のだろうか?歌い手はとても能力が高く、シンバリスト、ギタリストの完全なサポートに指揮者が助けられた。つまり気になったのは、指揮者のみ。

札幌大谷フラウエンコール(女声39名)

最近札幌の合唱祭などで聞いた時は、往年の「輪声会ボイス」をほうふつとさせる好演をしていたが。今日はただ1点、この自由曲が、私にはちょっと理解できなかった。ヘテロの連続となるのは、この作曲者の指向であり致し方ない(好き嫌いはあろう)。だが無声慟哭といえば、永訣の朝から連なりオホーツク挽歌へと続く、北へすでに亡き妹の幻を追う心象のはずだが、同じ作曲家の「南の島(パイヌスマ)」の音階が聞こえてくるのも、自分には謎?に思えてしまった。

THE GOUGE(混声40名) / Baum(混声45名)

この両団は近年、つばぜり合いを繰り広げている。人数規模も近く、今日の課題曲もG2で同じ。だが、対照的な楽器の作り。GOUGEはパートの全員でひとつの声を作り上げていく感じ。耳になじみ、指揮者の指示で音色を多彩に変える。対してBaumは、声楽的トレーニングを積んだメンバーを軸に、足し算をしていく感じ。

また表現される音楽の特徴は、ひと言でいってしまうと「スピリット」のGOUGEに対して「サウンド」のBaum、という趣があると個人的には捉えた。

GOUGEの自由曲「お伽草紙(千原英喜)」は、なじみの昔話を目の前で、絵巻物で広げて見せてくれるような楽しい曲。彼らは「浦島」の結末に何とも言えない哀しみを漂わせ、さすがこの指揮者という振幅の広い音楽作りに答えていた。

Baumは、Stroope「We Beheld Once Again The Stars」。詩はダンテの神曲、より。中間部のクラスター気味に畳み掛ける展開は、聖歌の「Vexila regis(王の御旗は進み)」のテキストから。それをはさむ前部と後部は美しい旋律で貫かれており、印象的で効果的な、よく出来た曲と感じた。

団体の楽器ひとつ取っても、どちらも典型ではある団の形。であれば、この自由曲そのものに対しての評価が。Stroopeは共通の評価を得て、千原のほうは評価が割れた。それだけの差ではなかったか。

どさんコラリアーズ(男声38名)

2年前の札幌、ワークショップでお会いした作曲家本人は、触れればヤケドするほど熱い人、だった。その作曲家の魂が入ったかのような、記憶に残る秀演。

北海道の男声合唱の道を切り拓く、という気概の集団に、後ろを振り返る指摘は不要な気がする。どう考えてもG1、M1、F1の課題曲中最も難しいと思えるM1モラーレス。ヨーロッパの団体ならば、カウンターや少年を用いて思い切り高く移調することも行う、例えばヒリアードアンサンブルのモラーレスがそう。だがこの難しい曲を選んだのも、西洋から東洋へのキリスト教史に沿った自由曲(どちりな、の背景はポルトガルからの宣教。モラーレスはスペインの作曲家)を演奏する彼らの、不可欠な意志だったと思えば、選曲ミスと片付けることは出来ない。

ただ一般Aでも指摘した今回の「ホール」は、どちらかといえば繊細な部分を残した型の男声合唱である彼らに、味方はしなかった。

未来への視点で捉えれば、テナー、特にセカンドがもう少しいれば。すでに充実している低声パートとのバランスがよくなるだけでなく、旋律パートのトップと低声をつなぐ内声の橋渡しとなり、より響きが有機的に動くように思える。何より、少人数のテノールが必死にがなり立てるような音楽はこの団の指揮者も、団員も将来に望んでいないはずだ。(結局は有望な人材を、道内で奪い合う、という現状には変わりないのだが)カギは中堅世代の、テナーを歌える男声。どこの一般団でもそこが泣き所、と言ってしまえばそうなのだが。

千原作品に不可欠な、主題にかける熱き想い、を持っていたこの団に、結果が伴わなかった理由は、課題曲への評価と、自由曲の"好み”(曲そのものへの)か。審査法(増沢式)のマジックとはいえ、前述の『クレー』の演奏よりここのどちりなが下に行ってしまったことが、自分としてどうにも解せない、それがこの日の順位を聞いての感想だった。

(注.合唱団の人数は、当日プログラムに記載のもの)