雪の降る前

そしてまたいつのまにか —

平成27年 北海道合唱コンクール高校の部

9月20日、旭川で行われた北海道合唱コンクール・高校の部を聞いた。(高校A後半から)
各校の感想は後に書くとして(早く感想を読みたい!という方は飛ばしてどうぞ)。

気になったのは、【課題曲を端緒とするプログラムの構築】をどう考えているかということだ。
率直に言って、課題曲をコンクールの『課題』として捉えているのであれば、それは
“やらなければいけない”というハードルだ。しかし課題曲を自ら『選択』することで、自分達の得意な表現をすると捉えられないか。受け身でなく前向きな表現をすることにつなげることはできなかったか?
*筆者は80年代後半から90年にかけ、高校大学とコンクールに出場したが当初の名称はコンクールの「選択曲集」であった。途中から「課題曲」へと変わった、という経緯がある。
今年の混声の課題曲は次の通り>
G1:Super flumina Babylonis(パレストリーナ
G2:Auf dem See(メンデルスゾーン
G3:知覧節(間宮芳生
G4:ねむりのもりのはなし(山下祐加)
以下、各校の感想に触れていく。

例えば札幌北高校であれば課題曲G3(知覧節)、自由曲:三善晃「愛の歌」から くりかえし、というチョイス。間宮/三善というともに一時代を築いた作曲家であり、好対照な二人によるプログラミングだ。

フランスの流れを汲むヨーロッパ的アプローチになるだろう三善、対照的に民謡という日本の民俗に元々流れている‘合唱’的要素から、新しい日本の合唱音楽を創り出そうとした間宮<⇒「素朴で純朴。まっすぐでのびやか」(*全音「12のインヴェンション」作曲家の言葉)>。
二種類の愛のうた、違いをあえて示すアプローチで表現しても面白かったのでは?と思う。(クレバーな北高合唱部であれば。それができる集団だと思うので書きました)

次に旭丘高校の課題曲G2メンデルスゾーン、Auf dem See。野外で歌う合唱団の楽しみのために書かれた曲にしては、ずい分と重厚な響きが聞こえてきて少し尻込みした。がこの、ドイツ音楽らしさをものにしたことは彼らの成長の跡、とも思った。男女のバランスは1:5 ?でも、Bassを土台としたドイツらしい和音の響きが聞こえる、そして何より自然な流れのドイツ語が曲の始めから終わりまで、よどみなく歌われた。相当な練習を積んだだろう事は想像できるが、ドイツ語はラテン語など他の外国語の発音技術の一段上にある(と私は思う)。つまり即席で詰め込んでも限界があり、経験から得る「慣れ」というものは必要になってくる。その意味で昨年夏、PMFという国際音楽祭の舞台で、自分達が責任を負いベートーベン第九の合唱を担う、という経験は彼らにとり大きなプラスになったと思われる。速く、激しい第九の歌詞に比べればメンデルスゾーンの課題曲の言葉はむしろ親しみ易いかも。
細部まで行き届いたドイツ語の合唱は、札幌の一般団体でも最近はなかなか聞けない。(この一点でも群雄割拠たる全国大会B部門で十分アピールするだろう)
この課題曲での伸びやかさが、自由曲でも良い方向に作用し、決して響かせやすくはない会場で音の方向を「つかまえに行き」ホールを鳴らし切る、余裕が生まれたように思う。

◯<自分は三善晃の合唱曲のすべてを知っている訳ではない。なので反論されることを承知のうえで、以下>
三善さんは後期ほど、一見明るくまたシンプルな作風になっていったように思う。ただそれは「一見」そうみえるだけであって、音の中に「毎瞬の別れ、毎瞬の背理(クレーの絵本第1集:カワイ)」「地表の背律や不合理、生の哀しみや痛み(同第2集)」は、変わらずあるものとして曲を書かれたのではないか。合唱の歌い手を信頼して書かれていた、ようにも思う(後期)。
そうだとしたら札幌北高校の(課題曲の中にメリハリが聞きたかったように)、この自由曲にも「陰」の部分を私はみてみたかった。
「年老いた樹にささやく風が 赤ん坊のおへそにうずまいて」
が、素晴らしく叙情的に優しい声で唄われたのと同じくらい厳しい響きも、聞いてみたかった。だから、曲の終盤にさしかかり、男声(特にBass)の響きが曲に深みと落ち着きを与えたとき、これが聞きたかったのだと私は感じた。陽は陰があってこそ、優しさは哀しみがあってこそ輝くといったことを三善先生は(曲の上でだったか)、言っていなかったろうか。

◯山の手高校は、以前このブログの「THREE」の項でも書いたが、高校生ばなれした豊かな室内合唱的な音楽を作れる集団と思っている。課題曲はあくまでヨーロッパ的な豊かな声によるアプローチだが、パートのバランスが良く強弱の対比によって音楽に深みが与えられていた。あえて(持ち声の)輝きある声・ハーモニーで課題曲/自由曲の2曲を歌うことで、(いわば「青春の輝き」ともいうべきようなもの・・)知覧節の純情が自由曲での「すき」という言葉へ、ひとつのテーマとして橋渡しされていたように感じた。

これらBグループの優れた団体にしても、やはり「自由曲で曲の練度が上がる」事を感じた。Aグループはなおさらそうであった。
G1:パレストリーナのバビロン河のほとり、は宗教曲(モテット)の中でも比較的取り組みやすく、表現の感情移入もしやすい佳曲だが、ポリフォニーを自分達のものに出来ていた団体は少なかった。
自分はかつて同じ曲を高校時代、カルテット練習など様々な方法で歌い込んだがその経験は一生の宝、といっても良いほど貴重だった。今考えると。
(29年前、1986年のコンクール「選択曲」。このSuper fluminaを選んで戦った、B部門の函館中部/岩見沢東ともに、この曲の肝はものにしていたと思う。手前味噌だが)
昨年、高校大学一般を通じて、G2の名曲マックス・レーガーの「Nachtlied」があまり選ばれなかった事への不満と落胆を感じたこともあり。特に高校生は、コンクール曲に取り組める期間の制限もあるだろうし、皆が旭丘高校のような「国際経験」を積める訳でもない。だが高校時代は、これから長く続く音楽人生の扉を開く貴重な時間であることも考えたい。突き詰めると結局、コンクールとは何か、何のためのコンクールかという問いに至ってしまうのだが。

以下、Aグループで私が聞けた団体の一部にも触れておく(当日の私のツイッターからの転載・補筆を含む)。
◯驚かされたのは、釧路湖陵。課題曲の民俗的なアプローチから、自由曲の1曲目までは見事!のひと言だった。一人一人の能力が相当に高い集団となっていた。惜しむらくは自由曲2曲目の選曲。間宮、パミントゥアンというアジア的な民俗的なテイストに続けて、J.BustoのAve Mariaバスクの作曲家という立ち位置はあるが、この曲自体は今や良く知られたポピュラーな名曲で、この団の良さを生かし切る選曲だったかどうか。同じブストーでも、他に多くの選択肢があったのでは・・と思いその点だけが残念。この1ピースがはまっていれば、帯広三条の牙城にも迫りえたのでは、と期待を抱かせる演奏だった。
指揮の高坂先生は、10年程前に私が釧路に住んでいた頃、先生が指導されていた「釧路子どもミュージカル・キッズロケット」の練習を見せていただいたことがあり、その時感銘を受けた。(当時、私は釧路で合唱をするモチベーションが無かったが、キッズロケットはその頃見た釧路の団体で唯一、プロ的な音楽への厳しさを感じられる集団だった。だからといって子どもミュージカルに入れていただく訳にはいかなかったが 笑)釧路の若者を率いての、これからますますのご活躍を期待しています。
[From Twitter]釧路湖陵: 以前よりグッと魅力的な響きに。顧問の先生が教えてた「キッズロケット」出身の生徒とかいるのかな。パミントゥアンの女声だけトリプル?4声体?の曲にびっくり。ロルカの幻想的な世界が創られていました。

◯[From Twitter帯広三条: 他とは違う響き。以前の小樽市民会館、今日の旭川市民とデッドなホールで続けて聴いたが彼女らにハコは関係ないみたい(いや綿密に研究しているのかな?)。自分達という合唱団を鳴らしきる術を知ってる、それが全国トップクラスのトーンを作っている。壁は相当に高い!
追記:鈴木輝昭の選曲が続く事への批判があるようだが、このレベルに達してしまえば「三条トーン」の、音楽をただ味わうのみ。全盛期の安積女子の演奏に、三善だ輝昭だと、選曲が偏ることへの批判はあったろうか?三条も、その安女の域に達しつつあると、思う。

◯[From Twitter札幌第一: 課題曲が丁寧かつ柔らかな発音で、この曲本来の「野に歌う」感じが出ていて好感。歌って分かるメンデルスゾーンの「テナーの苦しさ」、彼らのテナーは頑張って和音が崩れなかった。
追記:この人数で自由曲のガイフォーブスを聞けるとは。頑張ってました!

◯[From Twitter立命館慶祥中・高: ここの男声、いい声だったなー。男声女声とも、歌い手の努力と指揮者の能力が相乗して、全体にクレバーな印象をもたらしていた。楽しみな合唱団。

◯[From Twitter]札幌北陵: 繊細さは、この合唱団の大切な特質。今日はナイーブさ、として出てしまったかもしれない。パレストリーナ、テクの問題として子音に向けてる注意の何割かを母音にさくことで、ポリフォニーの線が太く描けると思う。でも、この団の作る千原(自由曲)、僕は好きです。


 全体を通して、合唱の質と団体の人数は関係ない、と感じた。一人一人の頑張り、という点では少人数の団体に今の高校生の能力の高さ、奮闘ぶりが良く見えた。自分たちにも可能性がある、と信じてさらに多くの高校生が来年も挑戦してくれて・・・結果として、高レベルで凌ぎを削る北海道の高校から「3団体」が全国大会に進めることが、OBとして今の夢です。全国の金賞シード制が無くなった今となっては。