読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

雪の降る前

そしてまたいつのまにか —

こまくさOB合唱団演奏会【その1】

同志社混声合唱団こまくさの創立45周年を記念して、こまくさの卒業生の

幅広い年代からなる「こまくさOB合唱団」の初の演奏会が10月26日、

京都烏丸今出川同志社大学の学内に位置する

寒梅館ハーディーホールにて開かれた。

 

【第1ステージ】混声合唱とピアノのための「新しい歌」信長貴富

 

5色の異なる個性に染まる、信長貴富の出世作ともいえる組曲。その1曲め、

組曲タイトルの

「新しい歌」が団員らのフィンガースナップで始まった時、ぞくっとする期待感と

少しの不安とがあった。

そして、体いっぱいを使った力強い声とクラップハンズでこの曲が歌い終えられた時、

いま、確かにひとつの「新しい合唱団」の誕生を目撃している、と感じた。

 

 

1曲目。作詩のロルカはいう ー 月だとかユリの花だとか 死んだ愛など 。

そう、追憶の中に生きる「古い歌」はいらない。歌詞を地でいくかのように、

20代から60代までという年代も、出身地もさまざま、大学と団の、

その時置かれていた状況もさまざま。ということで行けば、

いわゆる一般の合唱団には違いない。

そして人気というだけで合唱団が、軽い気持ちで手を出せば痛い目に合うことも

ありえる信長貴富の曲。だがこの合唱団はみごとにくっきり5色に染め上げてみせた。

 

1年以上前から準備を始め、関西/関東それぞれでの毎月の練習。初めての合唱団、

初めての演奏会のため全てを一から構築して行く(気の遠くなる)準備作業。

にもかかわらず直前には、このステージを企画し造り上げて来た功労者で

指揮者の谷口旭氏が急きょの仕事で、出演不可能に。

しかし、急きょふたつのステージの指揮を担当することとなった西川賢氏は、

直前の団員との猛練習を経て見事なステージを実現させた。

この演奏会のオープニングにはこの曲がふさわしいとチョイスした谷口氏の

思いに応える、冒頭からの生き生きした演奏。早逝したスペインの詩人ロルカの、

生命力あふれる詩にのせた、新しいいのち、新しい「一つの歌」!

 

続く2曲目以降も、それぞれの詩と、信長の多彩な音楽の魅力を見事に引き出す

演奏が続いた。無伴奏の「うたをうたうとき」は、バランスに細心の配慮が必要だが、

豊かに鳴るベースの上に、内声のアルトとテナーがクレバーな歌い回しを見せ、

4パートで最少のソプラノの繊細な響きも、しっかりと支えていた。特にテノールは、

ともすれば歌合戦に陥りがちなこの種の(OBの)ステージで、

ベテランの美声を若手がしっかりカバーし揺るがず、パートとして統一感が

損なわれることもなかった。

軽やかにスキャットのように歌う「きみ歌えよ」を経て、黒人の魂を謳い上げる

L.ヒューズの詩に載せた”The BLUES”な「鎮魂歌へのリクエスト」。

合唱オンリーで来た歌い手にこそ難しい、ブルージーな歌い回しをものにした。

そしてクラシック畑でキャリアを積んで来た鈴木淳子氏の、

見事なラグタイム風のピアノも、称賛が送られるべきと感じた。

 

そしてこの4曲目に漂った「死」の香りを、はっきりと、遺言歌として表現する終曲

「一詩人の最後の歌(詩:H.アンデルセン)」。

 

自分のことで恐縮だが、思えば若い頃はほとんど「死」というものを考えたことは

なかった。ただ漠然とした怖れがあるだけ。だが40歳を過ぎ、50歳が近づくに

つれ、自分の残された人生のこと、やがて残していくだろう家族や身近な人のこと

を考えるようになった。そして死を怖れて遠ざけているだけでなく、死に近づいてみる

ことで気が付いたことがある。「死」に意識をもち近づく、ということは

それにもまして「生」に近づくこと、漠然として過ごして来た「生」を

よりはっきりと捉え直すことだと。

 

だから、特にこまくさ創立当初の、今60歳前後のメンバーが

「私を高く運んで行け、お前、強い死よ」と高らかに晴れやかに歌うとき、

その言葉には重みと、真実があったし、客席にいるこちらの胸まで響いてきた。

現在信長作品を最も好み、人気がある歌い手の世代は30代–20代、大学生、

そして中高生だろう。

だが今夜20代から60代まで、さまざまに混じり合った集団は、その一人一人の

これまで生きて来た道、こまくさという“お花畑”から飛び立ってからの

数年から数十年の年月を、自分がどう生きて来たかの生きざまを見せてくれた。

そうした意味でこの日聴いたこの「一詩人の・・」は、自分の中で二つとない演奏だと思う。

 

 

これら音楽のバラエティに富む5曲を歌い切ったことは、この新しい合唱団の

誕生宣言であり、そのポテンシャルを知らしめるだけでなく、組曲「新しい歌」の

数ある演奏の中にも新しい頁を加える

“一つの歌”であったと思う。

その場面、その瞬間にこの日の午後、寒梅館の客席で自分も立ち会えたことを、

とても嬉しく思う。

 

(つづきます)