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雪の降る前

そしてまたいつのまにか —

平成24年 北海道合唱コンクール(上)

【一般A】

ウィスティリアアンサンブル(女声18名)

鈴のように良く鳴る。課題曲のWeelksはしっとりと。自由曲「獅子の子幻想」は、鈴木輝昭のウェットな部分が前面に出る。自分の固定概念か、この曲がこの団に合っているとは思えないが。ヨーロッパ的なアプローチで積み上げられて来た(と見ていた)この団が、とても日本的な蓬莱泰三のドラマを歌うとき、その楽器をどのように使っていくのか。指揮者も歌い手も、もしかすると今までの殻を破ろうとしているのかも知れない。

Ladle ribbits (混声17名)

若々しい混声。結果の「奨励」賞という、だけの内容では決してない(予想では銀賞くらい?と)。評価の低い理由をムリに想像すれば、自由曲が鈴木輝昭にしてはきれいだがテイスト薄め、ということの評価か。彼らの注目のポイントは、課題曲G4の演奏。面白い演奏!確かに難曲だけど、ハードルを超えてしまえば、指揮者も(歌い手も)表現の、腕の見せ所、というところだ。オイシイ選択・・!

(☆難曲を回避して、G1,2,3を選んだとしても、コンクールの練習は繰り返すのだし)

合唱団「あべ犬北」(混声14名)

ここも銀賞と思っていた。課題曲=安定していた。それがイコール、ルネサンス的な面白さ・豊かさにあふれていたかといえば、そうではなかったかもしれない(後付けの理由だが)。松下耕のミサから「Gloria」は、良く練れていた。曲の美しさ、魅力がよく伝わってきた。決してやさしくはない曲に挑む、歌い手たちの実力十分。ここが銅賞ですらないなんて・・。

弥生奏幻舎“R”(混声12名)

前の団体と同じ課題曲だが、ルネサンスのアプローチは、一日の長。指揮者の安定感(特に歌い手との、呼吸)が抜群。Rの演奏は「私たちは歌い手達が生み出すグルーブ(?)を、合唱から聞いているのだ」と感じる。人数は問題ではない。(と思っている)。また個人の声の良い悪い、でもない。そこを理解して、ああ、良い合唱だと理解してくれる審査を求めたい。彼ら自身からは、「自分たちの長所(本日の「売り」)はココです! 今日はこういう音楽を聞いてみて下さい!」と明確なメッセージが出ているが(特に自由曲の2曲め、ベネズエラのCarrillo)。

女声コーラス トリル(女声20名)

女声合唱は有利だな、と感じることがある(混声出身者から見て)。音域の広い4声部という混声4部に比べ、女声3部は。だが音色、表現に工夫が無ければ単調に陥りやすいのもまた事実。トリルは、下馬評は高くなかったろうが、その女声の「安定感」を本日最も感じた団。課題曲(新実の「天使」)も、自由曲の西村朗も、安心して女声合唱の響きに耳を委ねることが出来る。新奇な面は少ない。がきっとここは上位に食い込むだろう、と思ったらその通りの3位銀賞。予想通りの反面、広く中位の評価を得た団が上に行きやすい、という現審査方式の特徴が出た気も。

Choeur Jeunesse(混声20名)

Sop.が少し浮いて聞こえる。フワフワした感じ(旭川特有?)。男声が安定していて、その倍音でもって女声を歌いやすい方向へ持っていきハーモニーを助ける。4声均等であるべき、ルネサンスパレストリーナ)はやや不安定だったか。しかし自由曲からがぜん良くなった。リン・ミン=チーのAve Mariaも、松下耕のKyrieもとてもよく聞かせており、バランスも気にならない(=これは団の個性である、と聞けてしまう演奏)。こうなるとルネサンスのG1を選んだことで損したのでは?と思ってしまう。それくらい、課題曲と自由曲に差があり残念。

ローズクオーツアンサンブル(女声20名)

安定、というレベルを超えて、余力を残した表現をこちらに届ける。課題曲の瑞慶覧、自由曲の福島勇次郎とも南国の作曲家、この団の音楽からは華やかさ、艶やかさ、それが明確な形で感じ取れる。あたかも南国の花の色、形、それに加えて香りまでも届かん、という位の。よほどこれら作曲家、のみならず琉球や南国の音楽、音階などの勉強を積まれている、団と指揮者なのだろうと推測した。一般A全団体を聞き終えての、自分内1位。(結果は2位)

☆おせっかいだが来年以降に重要なポイントと思うのであえて書く。

合唱コンクールは、(言い換えると合唱音楽には、)様々な観点があるだろう。

だが少なくとも何を「コンクール」するか、ということでいえばそれは「音楽」のコンクールだろうと自分は思っている。出場する団体、メンバーは、これがプロの音楽コンクールでないことは当然ながら分かっている(し、結果が仕事に結びつくなんて勘違い合唱人はいないだろう)。だが、学校の音楽の(減点式の)テストを受けに来た訳でももちろんない。仮に合唱団の性能を測るだけの「コンテスト」であるならば、そんなものに貴重な時間を費やすのは願い下げ、と言う人も続出するだろう・・

核心たるそこ=音楽を見ずに、声量が、発声が、選曲が、云々という部分だけを見るとしたら音楽に向き合っていることになるのだろうか。

これまでも全日本合唱コンクールには、さまざまな基準がありすぎ、海外のコンクールに比べて至らぬ点やあいまいな点が多いのはたしかに指摘されてきた。が、例えば「珠玉の」といった全日本コンクールの名演を聞いたとき、そこには確固とした「音楽」があるのだ。そうした名演、金賞受賞団体がみな、発声、バランス、選曲といった全ハードルを超えていったかというとそうとも限らない(もちろんある一定以上のレベルというのはある)。

自分が言いたいのは、どこを見ているか、ということ。合唱コンクールなのだから、合唱音楽というジャンルに最低限理解のある人であるのは当たり前。自分の分野のみ、僕は声楽家だから発声面を、僕は作曲家だからこの曲の善し悪しを、という業務分担のみでは合唱音楽を聞いていることにはならないのでは。分業的に、作曲家・声楽家・指揮者(指揮者は指揮を審査する?=指揮コンクールではないのだが!)が自分の専門の立場から合唱全体を変えうるアプローチを提案してくれればまだ良いのだが。

審査全般の改革は、正直、来年の新制度(注.部門の再編)に合わせるのは困難だろう。だが、せめてA部門を再編した名称が「室内合唱」部門となる以上、それにふさわしい会場を提供する義務が連盟にはある。もちろん、支部予選から。

今回の小樽市民会館での北海道コンクール(一般大学職場)が「コンテスト」であったとは、言わない。それは失礼というもの。

だが審査に対しての疑問が、中学高校(>札幌市民ホールで開催)よりも続出したのはなぜか、ということは考えてみたい。ある規模以上の大人数の団体はともかく、各地のホールを巡回する今の北海道コンクールのやり方では、まさにその年のホール(の音響)の巡り合わせによって、特に小団体の名演が、埋もれてしまう危険性がある、ということは指摘しておきたい。

(注.合唱団の人数は、当日プログラムに記載のもの)

<(下)職場・大学・一般Bに続く>