雪の降る前

そしてまたいつのまにか —

こまくさOB合唱団演奏会【その2 現役ステージ】

【第2ステージ:混声合唱のための「十字架上のキリストの最後の言葉」千原英喜】
 昨年の3月に初演されたばかりのこの曲。

この日のこまくさ現役は総勢約90人。

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これまで自ブログで、他の大学合唱団のことをいくつか、自分の文章で書いてきたが。
自分の母校はどうか。少し立ち止まって考える。

同志社混声合唱団こまくさ、の演奏を
初めて聞いたのはいつか?おそらくは、北海道にいた高校時代にFMラジオで流れた
ピツェッティのレクイエム(松山での全国大会1986)だろうか。その後自分が入学、
いざ入団してからは、過去の演奏を聴きまくった。全国大会のLP!から、定期演奏会のカセット
に至るまで。
そして現役時代を過ぎ、こまくさを離れてから聴いた演奏もよく覚えている。
5年前の40周年記念コンサートで聴いた、木下(光と風の中で)と信長(旅のかなたに)の現役
の演奏はどちらもとても素敵だった(北海道から連れて行った家内(=部外者)も同意見だった)

だがおそらく、声(発声)やアンサンブルだけ、を捉えれば、こまくさより上手な合唱団は全国に
たくさんあるだろう。先に結論を言うようで気が引けるが、こまくさの良さ、はそこではない
ように思う。ではその、通底しているものは一体何か?

考えてみると初期の70年代から、80–90年代に演奏した著名な邦人曲はもちろん、外国の作品>
ブルックナーマルタン、ピツェッティ、またドヴォルザークからプーランク
ヴォーン=ウィリアムズに至るまで、国も時代も様々であっても
「こまくさの演奏する○○」というものはある気がする。
他大学が演奏した同じ曲を聴いてもどこか違う。ちなみに同じ指導者を仰ぐ
(=選曲が似た傾向となる)
京都エコーや住友金属(現・新日鐵住金)の演奏する同じ曲を聴いた場合、
声や技術面ではもちろん、これらの合唱団には及ばない。
(・・・いや正しくは、「及ばない」と
 現役の頃も卒業後も、自分はずっとそう考えてきたのだが)
ひょっとして全国津々浦々の大学団体や、2つの偉大な団も持ちえない
何かをこまくさは持っているのか? 試しに仮定してみる。

こまくさの持っているそれは、【イノセントな強さ】と言えるようなもの、ではと
思うのだが、
それが、新島襄が創った大学に流れるものか、それとも合唱団の中に受け継がれるもの
なのかは正直わからない。大学の環境、ということでいえば混声で同規模の
CCD、コールフリューゲルという団体と比較する・・むしろほとんど似ていない。
もっと言えば、こまくさに特に、神学部生や信仰を持つ団員が多い訳でもない。
だから誤解を怖れず言ってしまうと、こまくさの歌うそれが、宗教曲であっても
そうでない曲でも、何かの強さを感じる、というのが自分の思う本当のところだ。

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そして千原英喜について。

千原英喜は、99年から2000年ごろにかけ注目され始めた作曲家。今や大人から中学生に
いたるまで知らない合唱人はいないだろう。そのジャンルは非常に広く、最新の出版譜に
記載されているProfileと作品一覧によると、大きなジャンルとして
「日本の古典や伝統音楽をあつかったもの」
と「キリスト教と東洋世界、東西混淆の音楽世界」
(ほかに「宇宙をうたう」や「今を歌う」等)
となっている。こまくさの演奏履歴を、手元で調べた限りでは2002年に早々と、
隠れキリシタンをテーマとした千原英喜の「おらしょ」を定期演奏会で演奏している。
またもう一つのテーマである「日本の古典」も、2010年の定期演奏会
良寛相聞」を演奏。この時は同時に宮沢賢治の「雨ニモマケズ」も取り上げている。

千原は自分で、その組曲で使った技法や作曲のテーマなどを述べることも多い。
前述の「おらしょ」であれば、隠れキリシタンの伝承歌と中世キリスト教聖歌を素材とした
ファンタジーであると公言し「演奏会用バラード」として書いたと言っている。
今回の演奏会の「十字架上のキリストの最後の言葉」であれば、あのロイド・ウェッバーによる
人気ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」のように、
ドラマティック・ダイナミック・ソウルフルに描きたかった、と楽譜のまえがきで述べている。
コレを読んで、こまくさ現役の2ステを聴く前に、少しだけ不安に思ったのは事実。
「作曲家は合唱団に‘ミュージカル’をやらせる気なのか?」と。

が、この日のこまくさ現役は、実に丁寧、真摯な音楽作りで応えてみせた。例えば
何回も登場するテノールSolo.
これは明らかにポップスターを意識して書いたのでは、と思われるが、この日のテナーソロの
彼は、エヴァンゲリスト(福音史家)のように朗々と響いた。それが良かった。


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自分が現役の頃の話(注.今はわからない。多分受け継いではいないだろう)。
入団後、ミサ曲を歌うときのために、と新入生に先輩からロザリオ(十字架のネックレス)
が贈られた。キリスト教系大学に入学したことだし、常時身に付ける訳でもないから、
何の疑問も抱かなかった。そして、その十字架を身に付けコンクールや演奏会で
宗教曲を歌ったのだ。

今の(45歳のアタマの固くなった)自分が、そのことを知らずに突然聞かされたら、
「信仰を持つ人でもないのに、しかも歌うときだけ身につけるというのは、いかがなものか?」
と言い出したかも。だが、当時は疑いをもたなかった。同志社こまくさ、では宗教曲を歌うとき、
真に祈りを求めていたし、求めることが出来たように思う。音楽上必要な表現だからする、
のでなくて、音楽とキリスト教の心が結びついた曲で「祈る」ことは当たり前、と思えた気がする。
例えばドヴォルザークのGloria 、中間の緩徐部「我らの罪を除きたまえ」
では自分なりに人間の罪というものを、またキリストの姿を思い描きながら歌った。
マルタンのCredoの終盤、Et expecto resurrectionem では死者のよみがえりを、
すなわち不遇の死を遂げざるを得なかった人々、また身近で世を去った知り合い、
そうした人等が忘れ去られることなく永く思い留められて
‘永遠に生き続けること’、それらを祈り歌った。

うたう、という言葉は「うったえる」から来ている、のだとどこかで聞いた。単に大きな声で
節を付ければ良いというのでなく、心の底からの思いが、歌う、という行為なのだと思う。
最近は日本の作曲家でもラテン語で宗教曲を書くようになり、中高生らに人気があるのは良いことだが、
カタカナ読みを振っただけで出典や意味も知らずにメロディの「ノリ」だけに身を委ねているのでは、
と少し危惧している自分がいる。

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この日のこまくさ現役に関して言えば、そのことは杞憂だった。千原英喜も多用する、発声を
器楽的に処理しなければならない箇所ですら、全曲を通した落ち着いたトーンを乱していなかった。
理由のひとつがこの代の前期からの継続曲であること、それと同時に、この演奏会にも
相当の練習を積み重ねて来ていることが分かる。
そしてそれは、4回生や1回生という経験の差も感じさせない(良い意味で)。
仲が良いんだろうし、魂のつながり?もあるのか、とすら感じさせた。だから、
ドラマを強調した千原の音が歌い手をいくら劇的に「煽った」としても、
(それはつまり古今の作曲家が作曲した、Stabat Materなどの名曲
 <例えばドヴォルザークのEja,Mater,!>などとはまるで違っていたとしても)
こまくさは自分たちの「祈り」を貫きとおしたのではないだろうか。  
  
こういう書き方だとファンの人から「お前は千原英喜を嫌いなのか」と思われそうだが、
そうではない。
筆者も前に、札幌の自団で「おらしょ」の2楽章を演奏したことがあり、どんな作曲家なのか
とても興味はあった。
東京芸大の大学院出身、緻密な技法により書かれているか?と思いきや、和・洋・東・西、
音楽の「高揚」のあるところどこにでも顔を出して、曲にしてしまうような印象も持つ。
自分にとって謎の人・・であったが、2010年、札幌で開かれたコーラスワークショップのゲストとして、
千原英喜が招かれ「雨ニモマケズ」を聞き、本人の指揮で「どちりなきりしたん」や
ある真夜中に」を歌うことが出来た。

その印象は、とにかく熱い人!
作品、とは技法のみによって生み出されるのでなく、
【作曲家の中にはその作品の世界観が確固として存在する、 ということ。そして演奏者はその、
 作曲家の作った「容れ物」の中に、魂(たましい)を入れることが重要なのだ。】と感じた。
彼は細かいテンポ・ピッチ、そういったことは言わなかった。むしろ
「そういうことよりもっと、この曲には大事なことがある」と言いたげだった。
前述した通り、さまざまな世界の素材を作曲できる千原英喜は、もちろんそれぞれの音世界に流れる
『精神』が違うことを知っている。

例えば千原でも、ハレの音楽や「傾く(かぶく)」という種類の音楽は(ラプソディー・イン・チカマツなど)
は一般に理解がしやすいだろうか。だが、東洋と西洋の出会い、そもそもキリスト教世界や中世の日本の
キリシタン事情を知ろうとすれば、一般的に初心者や若い合唱人には理解が難しいことは想像がつく。
でもミサ曲やレクイエムなどキリスト教の宗教曲を歌ってきた(自分のような)
合唱経験者には、彼の曲は非常に興味深く耳に残る。

こまくさ(現役)はどちらかと言えば、大学から始めた初心者のほうが多い訳だし、4年間で
宗教曲に触れる機会も多いとはいえないはず。でも今日のような、難しい宗教的テーマの曲の世界観を自ら生み出せる。

なぜそれが可能なのか本当の意味での理由は分からないのだが
それは、こまくさ、に天が与えてくれた贈り物のような気がするし、
実際自分も(4年間で何度もある訳ではないが)歌っていて
「今、降りて来た・・・」と思える瞬間が何度かあった。

今日の現役は90名、かつては100名以上いた団員が、心をひとつに合わせる。
「それが出来さえすればうまくいく」などという保証はないのだ、どこの大学合唱団だって
そうしたいと願って努力している。でも、こまくさのトーンがどこか他と違う、
決して一番良い声ではなかったとしても(失礼!)、祈り、を感じさせることが出来る、
宗教曲でも他の曲でも、そういう才能はどこの合唱団でも持ち合わせている訳ではない。
舞台で「咲いて」いる本人たちはきっと気付いていない(自分もそうだった)、が
その音楽は望んでも手の届かない、高みにあるのだ、ということ。
大学生活という山を下り、違う花を咲かせようと一般団体でも(仮に、比較的
技術の高い仲間に恵まれたとしても)挑戦しなかなかうまくいかない、難しい。そして気付く、
あの頃のような純粋な祈りの心を持てたのは、あの山の頂近くにいた4年間
だからこそ、だったのだ、と。

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就職して数年してから、現役の頃の後輩たちに声をかけてもらい北アルプスに登ったことがある。
その時に山の頂上近くで群生している「こまくさ」を、初めて見た。屋根の稜線上、風が吹き付ける厳しい
環境に身を置きながら、たくさんの花が身を寄せ合って群落を作っている。
ひ弱そうに思えたその花は、群落という花畑をよく見わたしてみると、
実は一輪一輪の強さをもって成り立っている。その姿は堂々として、凛としていた。
その美しい風景は、同志社混声合唱団こまくさの、舞台で見る姿と重なって見えた。
こまくさの花言葉は、「誇り」だ。

創立時の先輩たちは、良い名前をこの団に残してくれた、と思う。