雪の降る前

そしてまたいつのまにか —

再開にあたり

この2014年10月、自分にとって大きな出来事が2つあった。1つは、

10月5日の北海道合唱コンクール。もう1つは、

10月26日に京都で行われた、大学の先輩後輩達=京都の仲間たちによる、

新しい合唱団の演奏会である。

 今回のコンクールはずっと忘れないと思う。当合唱団として10数年ぶりの出場である

と同時に、中学高校から始めてから30年に及んだ自分の合唱歴のうち、15年?はコンクール

に出場してきた。のだが、今回初めて「指揮者」としての出場となった。

 ひと言でいうと、本番は反省ばかりである。本番、歌い手の実力を最大限、引き出してあげなければ

ならないのが指揮者のはずだが、蓋を開ければ、舞台で最も緊張していた(ヘタレ)は指揮者であった。

このブログも、久しぶりに見返してみれば、はじめは個人の想像/妄想程度で済んでいたブログも、

いつのまにか他団体の批評を始めるようになり、気が付けば他の指揮者の批判めいたことまで書いている。

「100年早いっ、、、ちゅうの!」

これが今時点の自分への率直な感想である。だが役を辞任することもせず、また次の目標(演奏会)へ

合唱団も自分も進み始めたからには、落ち込んで止まっているわけにもいかない。いずれブログの

随所に今回のコンクールのことは出て来る(出さざるを得ない)だろうし。

しいて1つ2つ上げれば、

合唱団が本番直前(例えばコンクールの)、ぎりぎり前日(=最後の練習)まで練習で積み上げたことは

本番で出すことは出来る。だが、当日詰め込んだような内容は本番で再現することは出来ない。

①体にしみ込ませた表現だけが、本番の舞台で出て来るのだ。

それは指揮にも言えることで、本番だけ良い指揮を振ろうとしたって、無理である。どんな図形、

動きが歌い手から見て一番見やすいか、鏡を見て形を確認していく。どんな表現もそうだろうが、

現実の準備は意外と地味な作業だ。

そしてコンクールという、火事場に出されてしまった以上、慣れないことはするもんじゃない。

それが一見、些末なことであったとしても。

ずっと音叉で音取りをしている方(例えば陣内先生)なら、それで良いだろう。普段、ピッチパイプ

ポータサウンド(>not ハーモニーディレクター)あたりでせいぜい、音を取っているのなら

②普段通りやらなくちゃ。

これら①②は、いわば(140字に収まらない)長いつぶやき、だ。つぶやいている相手は、そう、そこで

PCに向かってるお前!ワタシのことだ。

約1年ぶりにブログを再開するにあたり、思っていることは

想像力、妄想力といったものは、自分にとって欠かせない道具だし恐らくこれまで通り行くだろう。だが、

そこに自分の手で感じた「実感」という裏打ちがなければ、薄っぺらな文章でしかない。薄っぺらな

文章、薄っぺらな言葉しか発せない人間が、どうして言葉を唯一の武器とする仕事で(=指揮者です)

人の心を動かして表現を創作できるだろう。さっき述べた、地味な作業を繰り返した「手」だからこそ

見えて来るものがあるはず。見えて来なくても、表現者としての手を得られるのでは。

(あの日の自分は、音叉のこと一つ取っても、まさしく手についていなかった)

あちこちで見て聴いて、想像したことと

めざす創造のため手をつくし手をかけたこと

思考と実践、そのバランスを取りたい。←これを目標とします。

実践しつつ、立ち止まりながら書くので、相変わらず不定期更新ですが。

休止中に、住居は函館から小樽に変わった。函館では、得難い経験をいくつもさせてもらったので

またいつか文章へと結実できる日がくるだろう。忘れられない土地がまたひとつ増えました。

そして自分のもうひとつの、音楽面の故郷といえる京都(と関西)。

今月、5年ぶりに訪れた京都では、たくさんの懐かしい仲間達が、素晴らしいひとつの合唱団を

「造り上げた」。自分は、残念ながら何のお役に立つことも出来なかったが、ではせめて

それを客席からすべて見届けた者として感想を書かせてもらおう(次回から)。

それが今、オラの出来ることだ(笑)