雪の降る前

そしてまたいつのまにか —

平成24年 北海道合唱コンクール(下)

【職場】

札幌市役所声友会(混声34名)

課題曲G2のハウエルズ、自由曲LAUDATE(K.Nystedt)とも、まだ消化不良か。Bustoに入ってようやくこなれた感じ。確かに金賞、だがこのままでは全国では厳しい。昨年は全国大会金賞の団体だけれども。当然ご本人たちも分かってらっしゃるはず。

【大学】

札幌大谷大学輪声会(女声21名)

プログラムの妙。課題曲の“あんたがたどこさ(肥後)”、日向木挽歌、そして沖縄民謡による「道之島唄」と南国九州を巡る旅のように。全国を逃したので後付けで言う訳ではないが、もう少しソプラノの音色の統一がほしい。個性は、同じ目的意識:表現を目指せばまとめることは可能な筈。せめて響きの方向性、がまとまれば、ALTOがとても良い音を出していたので、センターラインともいうべき響きの骨格がしっかりするのだが。

北海道大学合唱団(男声27名)

M4の八木重吉の詩による課題曲、情感あふれる素晴らしい曲。哀感こもる詩に音楽が寄り添い、ホロリと来る。さらに自由曲も、大岡信寺山修司というとても魅力的なテキストの世界を、客席に届けることに成功。輪声会より北大が成功し得た要因>北大グリーは各パートとも「声の大きいスーパー団員」がいる訳ではないが、それはパートのまとまり、全体のまとまりで補われて余りあった。速いパッセージと精緻な音階を表現しようとするあまり、全部のテキストが届いた訳では正直ないが、それでもパートごとにバラつきがないので聴き手からすれば、各パートごとに異なるフレーズの中の1つを捕まえさえすれば、曲のストーリーを理解することはできた。鈴木輝昭の魅力的な佳曲を教えてもらったと思った。全道で「銀」の悔しさは全国で晴らされんことを。

【一般B】

HBC少年少女(女声50名)

Stroopeに、こういう美しい曲があるとは知らなかった。オーボエと合唱、というとJ.RutterのGaelic Bress などが思い浮かぶ。いずれにしろこの楽器は人間の声によくなじみ、彼女ら彼らのよく訓練された素直な声とともに、癒される。たしかに美しい演奏だったが。3人が2位、2人が最下位と、評価は割れた。

リトルスピリッツ(混声42名)

自由曲「クレーの絵本」は演奏経験があり厳しめに聞いてしまう。が、演奏そのものとは別なところが気になる。1曲目は順調だったが、あとでギター伴奏が入るというのにピアノでの音出しを目撃し、不安がよぎる。2曲目、ブルージーなノリは上手くいっているが、楽譜の読み込みにはやや疑問。そして3曲目で不安的中、無伴奏で前半進み途中からギター伴奏がインという、ピッチの維持に最も神経を使うはずの展開だが、なにげにピアノで音出しを行う指揮者・・リハーサルでギターとチューニングを済ませた、のだろうか?歌い手はとても能力が高く、シンバリスト、ギタリストの完全なサポートに指揮者が助けられた。つまり気になったのは、指揮者のみ。

札幌大谷フラウエンコール(女声39名)

最近札幌の合唱祭などで聞いた時は、往年の「輪声会ボイス」をほうふつとさせる好演をしていたが。今日はただ1点、この自由曲が、私にはちょっと理解できなかった。ヘテロの連続となるのは、この作曲者の指向であり致し方ない(好き嫌いはあろう)。だが無声慟哭といえば、永訣の朝から連なりオホーツク挽歌へと続く、北へすでに亡き妹の幻を追う心象のはずだが、同じ作曲家の「南の島(パイヌスマ)」の音階が聞こえてくるのも、自分には謎?に思えてしまった。

THE GOUGE(混声40名) / Baum(混声45名)

この両団は近年、つばぜり合いを繰り広げている。人数規模も近く、今日の課題曲もG2で同じ。だが、対照的な楽器の作り。GOUGEはパートの全員でひとつの声を作り上げていく感じ。耳になじみ、指揮者の指示で音色を多彩に変える。対してBaumは、声楽的トレーニングを積んだメンバーを軸に、足し算をしていく感じ。

また表現される音楽の特徴は、ひと言でいってしまうと「スピリット」のGOUGEに対して「サウンド」のBaum、という趣があると個人的には捉えた。

GOUGEの自由曲「お伽草紙(千原英喜)」は、なじみの昔話を目の前で、絵巻物で広げて見せてくれるような楽しい曲。彼らは「浦島」の結末に何とも言えない哀しみを漂わせ、さすがこの指揮者という振幅の広い音楽作りに答えていた。

Baumは、Stroope「We Beheld Once Again The Stars」。詩はダンテの神曲、より。中間部のクラスター気味に畳み掛ける展開は、聖歌の「Vexila regis(王の御旗は進み)」のテキストから。それをはさむ前部と後部は美しい旋律で貫かれており、印象的で効果的な、よく出来た曲と感じた。

団体の楽器ひとつ取っても、どちらも典型ではある団の形。であれば、この自由曲そのものに対しての評価が。Stroopeは共通の評価を得て、千原のほうは評価が割れた。それだけの差ではなかったか。

どさんコラリアーズ(男声38名)

2年前の札幌、ワークショップでお会いした作曲家本人は、触れればヤケドするほど熱い人、だった。その作曲家の魂が入ったかのような、記憶に残る秀演。

北海道の男声合唱の道を切り拓く、という気概の集団に、後ろを振り返る指摘は不要な気がする。どう考えてもG1、M1、F1の課題曲中最も難しいと思えるM1モラーレス。ヨーロッパの団体ならば、カウンターや少年を用いて思い切り高く移調することも行う、例えばヒリアードアンサンブルのモラーレスがそう。だがこの難しい曲を選んだのも、西洋から東洋へのキリスト教史に沿った自由曲(どちりな、の背景はポルトガルからの宣教。モラーレスはスペインの作曲家)を演奏する彼らの、不可欠な意志だったと思えば、選曲ミスと片付けることは出来ない。

ただ一般Aでも指摘した今回の「ホール」は、どちらかといえば繊細な部分を残した型の男声合唱である彼らに、味方はしなかった。

未来への視点で捉えれば、テナー、特にセカンドがもう少しいれば。すでに充実している低声パートとのバランスがよくなるだけでなく、旋律パートのトップと低声をつなぐ内声の橋渡しとなり、より響きが有機的に動くように思える。何より、少人数のテノールが必死にがなり立てるような音楽はこの団の指揮者も、団員も将来に望んでいないはずだ。(結局は有望な人材を、道内で奪い合う、という現状には変わりないのだが)カギは中堅世代の、テナーを歌える男声。どこの一般団でもそこが泣き所、と言ってしまえばそうなのだが。

千原作品に不可欠な、主題にかける熱き想い、を持っていたこの団に、結果が伴わなかった理由は、課題曲への評価と、自由曲の"好み”(曲そのものへの)か。審査法(増沢式)のマジックとはいえ、前述の『クレー』の演奏よりここのどちりなが下に行ってしまったことが、自分としてどうにも解せない、それがこの日の順位を聞いての感想だった。

(注.合唱団の人数は、当日プログラムに記載のもの)