雪の降る前

そしてまたいつのまにか —

東京工業大学コールクライネス

東工大コールクライネスのコンクール演奏曲の系譜

近年のコンクール大学部門で盤石といって良い安定感を見せている東京工業大学混声合唱団コールクライネス。

その基盤を作るのに重要な役割を果たされたのは、1995年まで顧問を務められた加藤磐郎先生。

合唱団のホームページを参考にしたところ、コンクールに関しては94年の都大会が加藤先生最後の指揮での出場のようだ。

 ☆参考まで、クライネスの全国大会「初出場」は1978年の函館で、自由曲は荘厳ミサ(誰のだろう?)よりGloria。

 「初金賞」は1992年の仙台、自由曲は月夜を歩く(多田武彦)とどんぐりのコマ(三善晃)。

  初の「1位」は1996年の宇都宮、自由曲はサンドストレームのAgnus Dei。である。

【加藤磐郎先生時代】

ルネサンス…ラッスス(スィビラの預言)、パレストリーナ(ソロモンの雅歌)

近現代…ピツェッティ(レクイエム)、バーバー(リインカネーション)、ミヨー(2つの都市)、ショスタコーヴィチ(十の詩曲)

邦人…平吉毅州(夢)、三善晃(五つの童画)、すぎやまこういち(時環)

加藤先生時代のコンクール選曲を見ると、外国曲の近現代もの、邦人曲、そしてルネサンスものと大きく3つの系統に分けられる。

ここから見えてくるものを考えてみた。

ある意味最もクライネスらしく、コンクール向きとも感じられる「外国・近現代」の分野では、

大学部門では最初?と思われるショスタコーヴィチの合唱の名曲・十の詩曲や、

後に部門問わずポピュラーとなるピツェッティのレクイエム(こちらは一般の部で神戸中央や京都エコーなどがすでに取り上げていた)。

またバーバー、ミヨーの隠れた名曲で団の個性をアピールしている。

さらに邦人曲では、平吉毅州と、委嘱作のすぎやまこういちは、インパクトの大きい曲であった。

そして三善の、誰もが認める名曲・五つの童画で、初の金賞を獲得する。

見逃せないのがルネサンスの分野。コンクール出場の初期から、ラッスス、パレストリーナという巨匠の作品を取り上げている。

コンクールでは冒険的かとも思える選曲だが、実はここにクライネスの音楽の秘密の一端が隠されているようにも思える(後述)。

【移行期(?)】:新実徳英(幼年連祷)、三善晃蜜蜂と鯨たちに捧げる譚詩)、山本純ノ介(光葬)

話があちこち飛んで恐縮だが、幼年連祷の「喪失」を自由曲に選んだ1995年の高松大会について書きたい。

課題曲は松下耕・子猫物語より「守る」。

自分も同じ舞台で出場できた年もあって、現役学生の頃はクライネスの全国の演奏を生で聴く機会は

あまりなかった。卒業後のこの年、じっくりと聴くことが出来た。

何より課題曲がダントツに上手かった。子猫物語という、曲の話題性が先行したのではなかろうが、

大会中まあ「課題」として歌ってますという演奏がなくはない中、クライネスはどの一瞬を切り取っても、

「音楽」そのものであった。

いや、作曲家はこういう音をイメージしていたのだよ、と認識を新たにさせるような。

もしくは作曲家の描いたイメージすら超越してしまうような。

自然と客席に座っていて涙が流れた。この曲で(といったらまた失礼だが)涙が止まらないことに自分でも驚いた。そんな演奏であった。

自由曲は、緊張感のあるとても良い演奏だったが、中間部のスケルツォで、若干テンポが走った。

あの部分のスケルツォは難しい。

(ちなみに筆者は高校時代にこの組曲を振るという、超幸運に恵まれている。ご想像通り「喪失」のスケルツォは『爆走』であった(笑))

 だいぶ経って社会人になってから思ったのは、このスケルツォブルックナー交響曲に出てくる、

 アレではないのか、ということ。ブルックナーと考えれば「3連符の2つ目抜き」のダッカダッカ♪の

 堂々たるリズムの説明もつく。それが、大半の歌い手は3連符と付点音符を混同し、

 ダッカの「カ」の部分が短くなっていってしまう>走る!という仕組みだったのではと。

この時クライネスで振られていた方は、学指揮だったと思う。自分はこれだけ良い演奏に対して

「どうして金じゃないの?!」とまた審査に食ってかかっていた記憶がある。

関東・東京の事情には疎く、純粋に音楽のみ聞いてそれだけを思っていた。

しかし、この年に加藤先生が亡くなられていることに、ブログを書くにあたり、ようやく気が付いた。

そう思うと、追悼というとてつもない重荷を学指揮は背負っていたわけで。成績は二の次だったかも知れない

と勝手に考えている。

溢れ出す歌い手の気持ちをひとつにまとめることで、必死だったのではなかろうか・・。

しかし団が一丸となって音楽に没頭し、客席に安定感のある音楽を届けてくれる、今のクライネスにつながる

重要な年であったことは間違いないだろう。

「命は守る 命を守る 命をかけて 命を守る」

「失ったものは 何だったろう

 失ったかわりに 何があったろう」

この年の課題曲の演奏でもうひとつ、驚いたこと。それはオーダーである。

(記憶違いでなければ確か課題曲のほうで)MIXオーダー、すなわち、

SATBのカルテットを際限なく並べていく男女&パート混合のオーダーをやった。それも全国大会の本番で!

小単位は全体人数から割って恐らく3、40組はあったのだろう。だが練習ならともかく、本番でアレをするのか・・驚愕した記憶がある。

先日図書館で「合唱事典(音楽の友社)」を引いてみた所、参考として似たオーダーが載っていた

(ロジェ・ワーグナー合唱団だかで使ってたとか・・)。

この時の団・指揮者の意図はわからないのだが、ひとつクライネスについて思い当たることがある。

実は私が現在所属している札幌の合唱団に、クライネスに在籍していた方がいらっしゃる。

一般合唱団すべてではないだろうが、ウチはあまり大学経験者率は高くはなく、大学合唱ましてや

コンクール全国とかの話で盛り上がることはめったにない

(たまにあると、飲み会のごく片隅での盛り上がりに・・)。

なので、現役時代の突っ込んだ話はなかなか聞けないのだが、どうやら

『練習で 小アンサンブル や カルテット の練習をたくさんしている』

ことは間違いなさそうなのだ。

私がそう推測したのは、この「守る」のオーダーだけでなく、かつて加藤先生時代にはルネサンスものを

自由曲としても取り組んでいることから。

なにより、個々のアンサンブル能力が高くなければ、あれだけの人数でハーモニーすることは不可能である故。

一見すると「個々のアンサンブル力」と「大人数の合唱」は逆ベクトルのようだが、

フツーにオーダーを組んでも隣のパートまで数メートル離れるのはザラである。

一般に「周りの音を聞いて」とは合唱団では言われるが、この団の規模では

「聞こえるは自分のパートばかりなり」・・という事態も普通考えられる。

そこをアンサンブルできること自体が、まず個々の能力がなければできない。

その培われた力を持って、ダブルコーラスや多声部の曲に挑んでいる。

「大人数」であれば=ありさえすればドッペルやトリッペルや、○○声部の曲ができる・・という考えではない。

逆はないのだ。

そこをカンチガイしてしまうような大合唱団は、恐らく痛い目にあっている。(>自省含む。)

【以降>現在まで/大谷先生・岩本先生体制】

ロマン派…ブラームス(2つの格言)

邦人…鈴木輝昭

近現代…サンドストレーム、リドホルム、ペンデレツキ、シュニトケマルタン、ウィテカー・・etc.

大谷研二先生が帰国された時。何といっても彼はあの!エリック・エリクソンに師事されたという事実。

日本人で、そんな人がついに・・

と、当時合唱界には衝撃が走った。(なお大谷先生はヘルムート・リリンクにも師事されバッハの権威でもある)

大谷先生の指揮する合唱団MIWOにもいえることだが、サンドストレーム、リドホルムや、

シュニトケ、ペンデレツキといったラインナップを見ればスウェーデンで薫陶を受けた大谷先生の影響を

色濃く感じとることができる。

今のように世界中の曲からダウンロードなぞ夢のまた夢、CDすら満足な演奏を入手できない時代。

エリクソンの指揮するスウェーデン放送合唱団やストックホルム室内合唱団の「ヨーロッパの合唱音楽」シリーズは、当時の一線を目指す合唱人にとって

大きな影響を与えたまさしく『バイブル』であった。

(筆者はギリギリこの演奏を6枚組の「LP」で学生時代に入手した<自慢)

ラインナップだけでなく、同じマルタンのミサでも、この40年前(!)の録音はその重厚さと構成力では

今だに他の追随を許さない。

世界中にあまたある意欲的な合唱団が録音を出し続けている、この曲にして。

〈現在=第64回全日本コンクール 青森大会 大学の部〉

さてようやく青森での話になります。

先だってあげた過去の例の通り、課題曲が上手であった。曲の理解が深いのだと思う、音楽的な。

いわゆる詞が先、という理解でなく音楽の構造を理解したうえで、和声と、言葉をどう表現していったらよいか、

よく考えられた演奏。

繰り返しになるが、クライネスの演奏を聞くたび、

課題曲は「課題だから(なんとか)こなして」「自由曲で勝負!」

ということではダメなんだ、と反省する。

『自由曲は自分たちで選んだ曲だし思い入れもある。でも課題曲であっても、

課題曲ならなおさら、「思い入れ」られる曲にしなければならないんだ。選択肢は4つ与えられている、

そのどれかを引いて今年の課題を選んだ連盟や審査員の予想、もしくは音源としてある既存の録音、

それらをすべて凌駕するほどの演奏を!』

そこまでいかずとも、しっかり自分たちの音楽として消化したうえで、全国大会という舞台に盛りつけて出すべきだ。

と、金賞の常連となったクライネスには教えられている。

(またそうでなければ、いつまでもその曲には

 「初演団体」や「録音した団体」を上回る演奏が与えられない・・ということになってしまうだろう。)

そして自由曲。

(注.個人的にあまりに細かく深く、このMartin の Credo には、思いがある。そのことや、

このダブルコーラスを駆使した(またダブルコーラスの枠組みを超えた)このミサ曲の魅力については

章を新たに書こうと思う)

ここでは全体の印象を。

今回、青森市文化会館のスタッフの皆さんも恐らく、山台のサイズは出場団体中で最大となる

クライネスの人数を基準に作られたと思われる。

(ここ2、30年、全国大会の会場では、準備はそういうことで始まっている・・)

が、このホールが彼らに有利に働いたとは残念ながら思えない。クライネスが用いた

男声(後ろ)女声(前)のオーダーは、ダブルコーラスを歌うにはごくノーマルな並びで、

この曲を演奏する際の「効果」からみても常識的。

だが、筆者は2階席で聞いたのだが、ひな壇6段に7から8列のオーダー、女声をベタに2列作っても、

男声のかなりのメンバーは、奥にもぐってしまうような形になる・・。

(筆者が現役時この曲を最後に演奏した、「京都会館第2ホール」で同様のことが生じた。

 ・・・関西の方にしか通じませんが(笑))

やはりステレオ効果という意味なら、旧・大阪フェスティバルホールほどの「幅」のある舞台、

また新しいホールに多い「高さ」がある舞台なら、この曲のもう一つの側面である

女声/男声のダブル=立体的な構築が可能なのだが、その面でも男声の声がやや奥にくぐもってしまって

不利だった。

舞台の狭さを奥行きでカバーした造りでやむをえない・・クライネス以外の団体には全く問題ないハナシだが。

しかし、それを言っても始まらない。会場にいた私と恩師(まさに学生時代この曲を振っていただいた)は、

クライネスのマルタンの演奏について、意見が一致した。(その方は「しっかり歌ってはった」と言っていた)

そう、私が感じたのは(恐らく大谷先生のご指導なのか?とも思う)その、重厚感。最近のCDではこの曲の

「運動性」を強調したスピード感あふれる演奏も多く、筆者もどちらかといえば好みがその傾向だった。

しかしこの日、クライネスから感じたのは、前述の「エリクソン」好みのする

『信仰宣言』をしっかりと語ってゆく、スウェーデン放送合唱団をほうふつとさせる演奏だった。

そしてそれが最も明確な形を結んだ瞬間。それが、

(女声4声の掛け合い→男声陣との立体的、有機的なからみ合い→再びのダブルコーラスを経て)

128小節。8分休符の一瞬の静寂のあと、全パートが同音形(5度)で語り始める

「Et expecto resurrectionem mortuorum.」

であった。

そこまでの語りでは、正直もっと流れてほしい部分や、過剰なcresc.が後付けされるように

感じた部分もあり、ちょっと重い感じもしていた。だが、

このresurrectionem は、まっすぐ客席を、矢のように貫いた・・・

今回もコールクライネスのメンバーは、「やわらかいいのち」から始めた、青森での

「物語り」を、マルタンのCredo の最後まで、きちんと聞かせて終わらせた。

そして今思うこと。

何でもかんでも震災に結びつけるというのはどんなものか・・と書いたのは、

前項「東北福祉大」で述べた自分である。

だが、震災から1年が経ち改めて強く思うこともある。

大震災の年に開かれたというかつてない(そして、もうあってほしくはない)

全国大会で自分たちの舞台を締めくくるという意味では、まったく見事だったというほかない。

その祈りは、客席の私たちの心の中で、永遠に・・

Et expecto resurrectionem mortuorum.

Et vitam venturi saeculi. Amen.

  死者のよみがえりと 来世の生命とを待ち望む アーメン