雪の降る前

そしてまたいつのまにか —

九大混声合唱団

先日、東北福祉大学シューマンについて書いたとき、

2年前の全日本コンクール札幌大会で彼のミサ「Gloria」を演奏していた

もうひとつの団体について、

シューマンという作曲家をどう見たのだろう?」と疑問を呈したことを述べた。

実はその団体が、これから書く九大混声合唱団だ。前回のくり返しになるのだが、

「素直さだけでは済まない執拗さ、が足りない」ような気がしたのだ。

ひと言でいうと、曲に対して合唱が「爽やかすぎ」た。

音楽の“底知れなさ”というよりは、

突き抜けた明るさ、(スカイブルーのような)“高さ”

を感じてしまうごとく。

今考えれば、多分に「南国九州」に対する自分の思い入れも作用したとは思うが。

九州人の持つ、苦しさも悲しみもすべてを(かまどに放り込んで燃やし尽くして)

エネルギーに変えてきたような推進力。

人なつっこさ。

北海道人にとって、実はすごくよく似ていて親近感も持つが、

決してそうはなれない、憧れでもある存在。

そうした印象を現地で実感できたのが、学生時代自分が初めて九州に足を踏み入れた

1989年の全日本コンクール福岡大会。

そこで、大学の同期に連れられ、彼の昔からの音楽仲間、彼の地元などを

めぐって、肌で感じられた。あのひとつの島である九州の中に、

統べ難い各県の個性と歴史があることも知った。

高校生の頃、鹿児島女子高や宮崎女子高の演奏から思い描いてきた・・・

憧れの地に自分が来れたこと。忘れられない思い出だ。

社会人となって今感じるのは、いざという時九州がひとつとなってみせる「パワー」

すなわちアジアの玄関口たろうとする産業の活気、ホークスを九州挙げて応援する地盤、

JR九州などに見る観光の力、etc…。鳥インフルや豪雨禍も乗り越えて、

ずーっと継続して元気を保っているのは、国内では九州ではないか

と思っている。

その、頭脳たる位置を占める九州大学。今回、北大混声合唱団も同じく大学の部に

出場しており、共通点が垣間見えて面白い。もっといえば、自分の中での国公立(混声)

大学合唱の基準になっているのは京大なのだが。

これらの団にいえることは(短絡的に偏差値とは関係づけられないのは当然としても)

勘どころの良さ、さらに

音楽を理解して前に進もう、という姿勢がみられること。

つまり、自分を省みて言うのだが、学生時代に取り組んだ曲たちについて、

きちんと理解して音楽していたか?、というと(?)甚だ疑問符がつくからだ。

ようやくだが九大混声の演奏について。

自分の当日メモによると、

>声部のバランスよい。不協(和音)をきちんと保持=鳴らしたのち解決へ。

 という、曲の構成に対する理解(を感じる)。以前は声質の爽やかさだけ

 が印象的だったが、こう表現したいんだ!という主張、

 さわやかなる精神が垣間見られた演奏と思う。

大会パンフレットによると、今大会出場の団員80名のうち、半数以上が1年生(!)

ということで、洋々たる前途とこれから成熟していく姿が楽しみな団だ。

谷川俊太郎/高嶋みどりが描いた「未来」は、

青空に向かって竹ざおを立てる所が日本的に感じられる曲だが

今回演奏した九大の「Leonard Dreams ー」は、彼らのヘリコプターが九州の

スカイブルーの空に見事に羽ばたいて行くようで、その清々しさと未来への可能性が

曲にマッチしていた。

(追記:レオナルド・ダ・ヴィンチ考案のヘリ、と言えば全日空旧型機の

 垂直尾翼に描かれたデザイン。ANAといったら「ウォーターボーイズ

 などを手がけた矢口史靖監督による「ハッピーフライト」という映画があった。

 これも徹頭徹尾、さわやかな映画だった記憶が・・)