雪の降る前

そしてまたいつのまにか —

札幌大谷短大輪声会と宍戸悟郎先生

高校時代、地元では生で聞く機会がなかったので、実際に輪声会の演奏を肌で感じることが

できたのは1990年、地元札幌での全国大会(北海道厚生年金会館)。

この大会で10年ぶりの金賞を獲得した札幌大谷輪声会は、力強かった。課題曲のデュリュフレ

グレゴリオによる4つのモテットより Tota pulchla es)と自由曲のアンドリーセン

のミサ、お得意のフランスものと北欧もので、輪声会はクリスタルなトーンは保ちながら、

「地元で金を穫る!」という意志と熱のこもった演奏を繰り広げていた。

(と、次の出番の私は下手の袖で感じていた・・・)

恐らくは声楽経験者または高校合唱出身(含む東北)、からなる個性的なメンバーをまとめる。

それも2年ですべてのメンバーが入れ替わる短大という宿命を負っていた輪声会。全員で、

演奏前にお腹の前で両手を組み合わせるポーズ、あれは声楽的な意味プラス、心を合わせる

ために必要なのだろう、と自分は想像していた。その個性派集団をまとめていたのが、指揮者の

宍戸悟郎先生だ。フランスや北欧の合唱などを十八番とする権威でありながら、輪声会とともに

いるとまるで「修学旅行生を引率する教師」のように学生に慕われるお姿を、全国大会の開催地

でお見かけすることができた。素晴らしい音楽とお人柄が合わさった宍戸先生のような存在が

あっての当時の輪声会だったのだ、と後に痛切に思い返した。

少し経って、指揮者が声楽家の則竹先生に代わり指導のよすがを移された後の、2002年の

滋賀大会びわ湖ホールで自分は、クリスタルなトーンを再び聴くことができた。恐らくは則竹先生と

ともに苦労して復活された賜物だったろう。またこの02大会は前項のとおり、輪声会出身の

藤岡直美先生の枝幸ジュニア合唱団(現・ウィスティリアアンサンブル)が一般B部門

話題をさらっていったが、妹分?イトコ筋?ともいえる枝幸の子らに劣らない、

“大人の声で聞かせる透明なハーモニー”を輪声会も再現していた。思えばあのびわ湖での

両団は、違う指導者による違うアプローチでいかに「宍戸ワールドを表出するか」を

競い合っていた、という見方もできる。

宍戸先生に直接ご指導いただいたことも1度ある。京都合唱祭にゲストとして招かれた宍戸先生

(古くから浅井先生とは懇意にされていたようだ)。自分を含む京都の学生たちを前に

「やさしい魚」を振っていただいたが、北海道と関西の学生の気風に違いに戸惑われていた

ようだ。(自分もそうだが)

それから大学卒業後、北海道に戻ってから出場したある年のアンサンブルコンテスト。自分は仲間と

チームを組み、選んだ曲がヴィクトリアの「O magnum mysterium」だったのだが、

審査員だった宍戸先生から頂いたご講評は、ひと言でいえば「これはヴィクトリアとは

いえない」という厳しいもの。今思えば、まさしくあの演奏はヴィクトリアとは言い難い代物だった

ので、的確なご指摘をいただいたのだった・・・。

先生が病に倒れられ、合唱の現場から離れられてから時間が経てば経つほど、宍戸先生の作られる、

あの独自のエスプリの利いた音楽が思い出される。今、OGの大谷フラウエンや輪声会などの助けもあり

演奏を聴いていただけるほどに回復された、と言う記事も目にしたことがある。

近年はフランスものに挑戦する団体も以前より増えてきた。昨年のコンクールはヴィレットなどの

フランスものが課題曲にもなった。かくいう我が団も、フォーレドビュッシープーランクなどの

仏語による音楽に近年挑戦してきている。我々や全国の仲間が取り組む、

フランス語の豊かな響き、フランス音楽のエスプリのかけらでも宍戸先生のお耳に届けられたら、

先生にはどんなふうに聞いて頂けるのだろう・・。夢、でないことをいつまでも願って待ちたい。