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雪の降る前

そしてまたいつのまにか —

東北福祉大学混声合唱団

被災地のこと、震災のこと と何でも結びつけて考えるのは、

被災地の人たちにとっては、いつまでも続けられると迷惑かもしれない。

だけど、あの日からのこと を想像してもしきれていない、

現場を見ていない、本当のことを1%も理解していない人間にとっては、

想像しない訳にはいかない。

東北福祉大の課題曲が始まってすぐ、ほかの団体とはまるで別な曲に

聞こえてくることに気がついた(★大学部門では4団体がG4を選択)

「愛される」

「人を憎む」「人生を」「自分自身を」

「降りしきる」「えたいの知れぬ」「恐ろしい」「夢」

「あなたの知らない誰か」

「いのち」

「生きようともがきつづける」

「いのち」

・・・

……想像力たくましいと言われればそうかも知れない。

そんなことは考えて歌っていません!と本人達からも言われそうだ。

だが、あの日あのホールで歌われた彼らの歌から、

私にはたしかに聞こえた。他団とはまったく違う意味を持って届いてくる

『言葉』が。

発せられることばの重み、

言葉の彫りが深い、というのか、陰影が違うのだ。

中でも次の言葉が歌われたとき。

戦慄した。

「すべての硬く冷たいものの中で」

47小節めからのこのフレーズは、ほとんどの団体が

P からのディミニュエンド と pp で処理して歌っているところ。

sop.とten.にとってもやや高めの上昇形のフレーズのため

意識せずクレッシェンドがかかってしまう団体が、終わってみると一般含めてほとんどであった。 

それがまったくそうならない。むしろ「平板」である。しいて言えばそのフレーズには

“血がかよっていない”

 のだ。

・・・彼らはこの8カ月間、その目にいったい何を見てきたのか?・・・

そのことを思い、戦慄する。

私事で恐縮だが、全国大会の前週に仕事がらみで仙台入りし観光バスで

案内された。3月11日、海からの黒い津波が田畑を押し流し、高速道路にわずかまで迫った映像で知られた

仙台東部道路」の上を走った。遥か遠く見える海岸には、立派だった松林が櫛の歯が欠けたようになっており

『このすぐ横の田畑から、側溝から、つい1、2ヶ月前まで ご遺体が、

 それまで忘れられていたかのように、発見されたりしていました』

とバスガイドさんが話してくれる。

道路を境に海側が被災した地区、一見すれば寂しい普通の田畑だ、家はほとんど見えない。

その日自分のツイッターには

《ふだん自分の生活する地区に、遺体が何体も流されて転がる。ってどういう気持ちになるんだろう。》

と書いた。

あの美しい杜の都、仙台は傷ついていた。駅前に立って広場を見渡せば、日曜で混み合う雑踏、

若者らが買い物に訪れる、一見した所どこにでもある日常。先ほど降り立った新幹線ホームが震災時

崩れおちたこともにわかには信じがたい。だが街を巡れば、工事が途中までの箇所、損傷が激しくて

放置されている箇所も見うけられ、「この施設はつい先月から」「この建物は先週再オープンしたばかり」

と案内が。自然に囲まれた大都会は、その深いところに傷を負いまだその傷は癒えていないようだった。

…自分にとっても92年の全国大会の、美しい思い出とともに記憶される、忘れられないマチ。

東北福祉大の団員の中で肉親の方や友人や知り合いを亡くされた人

は、多くはないかもしれないが

遺体安置所に出向いた人、や

避難所等でボランティアをした人、はきっといるだろう。

いや直接、冷たくなったご遺体のことではない、それ以外の多くの

『硬く冷たいもの』をもあの日から私たちは、そしてもっと

彼らは、それを目にしてきたではないか。

報道(主に新聞。地元紙の河北新報)で得た知識が大半で申し訳ないが、

諍い、妬み、生き残った自分自身への葛藤、それから

全国の見知らぬ人からの支援の手がある一方で

【遅れる復旧/無理解/差別/偏見/無力感/絶望】

そういったものと彼らは8カ月の間、戦ってきたのではないか。

(いや。今も戦っているのではないか)

『硬く冷たいもの』に囲まれ、体感してしまったからなのか。その正反対のパッションで

直後のフレーズに、途方もなく温かい血が、一気に注がれて歌われる。

「なおにじみ」「あふれ」「流れやまぬ」「やわらかい」

「いのち」

楽譜の最終頁、各パートに与えられ繰り返される“いのち”のフレーズは

大変な重さと熱情をもって歌われた。それはまるで

“まだまだ歌い足りない!まだまだ「命」を歌いたい! (それは2万回でも)”

とでも叫んでいるかのように聞こえた・・。

当然のことだが、彼らは「思春期心身症」ではない。だろう(恐らく)

だがこの春以降、重いダメージを心身に負った、のではないか?

技術的に研究したから今日の「やわらかいいのち」の表現があったのでなくて、

もし心の奥底から自然に流れ出たものが、今日のこの歌であったとしたら・・・?

私は流れる涙を抑えられなくなった。彼らが、(意識していないとしても)

負ってきたもの、を想像すると。

 ハーモニーの震災後の特集にあった、被災地の高校生の歌声について読んだ。

 私も今回青森市文化会館で「被災者」の、

 今もまだ続いて被災している人たちの歌声を聞いたのだ。このコンクール全国大会という場において。

そしてその声が、心の奥底からの声が届くかどうか、聞こえるかどうかは

受け取る側の私たちに託されている。

私たちの耳と、感じとる力、想像する力に。

「やわらかいいのち」を愛することができるのは、柱のかげの私たちだ。